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社会科学徒のエディトリアル

広くは社会科学・狭くは経営学・会計学。学部4年生です。研究者目指します。

「頭が良い」ほど曖昧な言葉もなかなか無い

皆さんは、どんな人に対して「頭が良い」と感じますか。

 

 

この問いを友達等に投げかけても、同じような答えが返ってくることは稀です。

恐らく現代に生きる殆どの人は、「頭が良い」とはどういうことか、と聞かれれば、すぐに何らかの概念図が頭の中に思い浮かぶでしょう。現代において社会生活を営む我々にとって、この言葉が持つ力は非常に大きいですから。

組織が構成されれば上下関係が、優劣関係が発生します。とりわけ現代においては「仕事」が人々のライフサイクルの大きな割合を占めるもので、ある意味皆が画一的にそのシステムが作り上げる社会生活に放り込まれていきます。そうした社会生活が規定する価値基準では、「仕事」の中で評価される優劣をもとにお金だったり、ステータスといったものが発生します。

もともと優れた遺伝子を後世に残していくのが種族繁栄のための究極的な目標ですが、現代の我々人類が遺伝子の「優劣」を判断する時に、先に書いたような基準が大きな意味を持っていることは間違いないでしょう。そして現代において、その優劣を決める根本にあると言える要素が、「頭の良さ」というわけです。

 

ここまで長ったらしく「頭が良い」という言葉の重要性を語ったのにはワケがあります。全ては以下の問いを投げかけたいがためです。

 

なぜこれほどまでに重要な言葉が、曖昧な意味のまま使われ続けているのか。

 

これに関して、僕の頭の中に仮説があります。

老害」という単語はよく耳にするでしょうか。耳触りの良くない言葉ですが。

過去の成功体験に引きずられ、今では通用しない基準での判断を押し付ける厄介者、というニュアンスの言葉ですね。

あるいは心理学に、「認知的不協和の解消」という基礎的な用語があります。

人間はある複数の矛盾する認知を抱えた時、自らの態度や行動を変えることでその不快感・不協和を解消するというものです。

皆それぞれに想起する「頭の良さ」という概念の形成過程は、上記の2つのお話と非常に似ていると思うのです。

 

自分はこうして成功している、あるいは他者がこうして成功した。だから、頭の良さというのはこういう事なのだ。

ずっと怒られっぱなしだ。ずっと悪口を言われている。でも、俺の頭が悪いなんて思わない。あいつはこういう事が分かってない。俺は分かっている。

 

どうでしょう。あなたの思い浮かべる「頭の良さ」は、こういう経験のもとで形成されたものではないでしょうか。

特に社会生活の中ではこうした事で自尊心を傷つけられたりする事が多々あります。「頭の良し悪し」なんて、まさしく自己評価に関わるような議論ですから、上の2つの例であれば後者のようなプロセスが一般的なのではないかと思います。

僕は「なぜこれほどまでに重要な言葉が、曖昧な意味のまま使われ続けているのか。」と言いました。

しかし実態はおそらく、

 

これほどまでに重要な言葉だからこそ、曖昧な意味のまま使われ続けている

 

という事なのだろうと思います。皆それぞれに「頭の良さ」があって良いのです。

ただ、あくまで一人一人が思い描く「頭が良い」という概念は、「頭が良い」という一般的な概念を構成する中の、主観的な一部分に過ぎないという事だけは、強く心に刻んでおくべきだと思います。

「この人たちは勉強はできるけど、実用的なことができないからバカだ。話を聞く必要はない」というような思考が失敗につながったケースというのは、案外人類の歴史を辿るとちらほら転がっている気がします。

老害」という言葉を頻繁に使う人は、10年後、20年後に自分が「老害」にならないよう、気をつけなければいけないのだと思います。

 

本当は「頭の良さ」の類型化みたいなものをしようかと思っていたのですが、長ったらしくなってしまうのでそれはまた次の機会に。