社会科学徒のエディトリアル

広くは社会科学・狭くは経営学・会計学。学部4年生です。研究者目指します。

意識高い系アレルギー?”利益アレルギー”の人に捧ぐCSRの話

最近は我々新4年生の就活がラッシュを迎えています。

僕の周りにも、幾度もの説明会や面接、グループディスカッションを経て疲弊した人たちが集まっていまして、話を聞く中で多くは不満が出てきます。(悪い事とは言いませんよ。笑)

 

 

2タイプの不満

おおかたその不満は2種類ありまして、僕が話を聞いている以上は

①GDのメンバーに話が通じない系

②”意識高い系”のカネ・カネ・カネな思考・議論に嫌気が刺した系

にほとんど分類されるような気がします。

 

①はだいたい商学経営学系の専攻かそういった分野に関心の高い人がよく口にしがちです。②の不満が出てくる人は、少し関心の対象が上記の分野からは離れているパターンが多いなと感じます。割と①と②の層は対立的なのでしょうかね。

世の中経営(経済)系を専攻していない人間のほうが多いので、就活等をして②の不満をこぼす人が世に相当数いることは推測できます。

確かに”意識高い系”なんて言葉も流行ったくらいですから、多少そういった層の人々に対して思うところが無いといえば嘘になりますが、僕は少し②の方々に対して一定の危うさを感じていたりします。

何を恐れているかといえば、ともすれば「企業利益と社会貢献は相容れないもの」という類の思考に誘導されてしまうことです。

言い過ぎと思われそうですが、人間、言葉とイメージに思考が誘導されるのはよくある話です。

のために横文字をしこたま使ってカネを追い求めているか、という話です。

 

”企業”による社会貢献の形(CSRの話)

企業、特に高学歴の人間が受けるような上場企業には、どういった形の社会貢献が可能か。あるいはどういった形の社会貢献ができないのか。

こういったCSR(企業の社会的責任)の概念を根本的に問い詰めていくような活動は、手に職をつける前にどこかでやっておく必要があるのではないかと思います。

 

企業の社会的責任(きぎょうのしゃかいてきせきにん、英語:corporate social responsibility、略称:CSR)とは、企業が利益を追求するだけでなく、組織活動が社会へ与える影響に責任をもち、あらゆるステークホルダー(利害関係者:消費者、投資家等、及び社会全体)からの要求に対して適切な意思決定をすることを指す。

(また機械的にウィキペディアから引用しました。)

 

企業存続のための使命は、調達した資金を使い、利潤を生み、再投資をして社会の富を増大させていくこと。

特に上場企業の宿命は、利益成長が実質的な義務であるところ。資金の出し手である株主は株価下落や上場廃止のリスクを背負う代わりに高い投資利益を求める。(専門用語では資本コストと呼びます)

だから、企業はお客さんを満足させた分だけもらったお金(利益)を通じて、資金を提供してくれた人たちにも利益を還元して、そこでやっと責任を果たしたといえるわけです。

カネ至上主義ではなく、あくまで目指すものは各々の企業の理想とする社会であるべきなのですが、その社会貢献の価値はまぎれもなく「利益」で測られます。

企業が提供する「貢献」は、その活動が社会に生んだ「+αの価値」に対する対価としての金銭授受を前提にするものです。

つまり、利益が出ていない企業活動には「+αの価値」が無いわけです。

 

社会貢献の主体は様々です。

しかし、どの主体を選ぶかによって、できる社会貢献の形は変わります。

 

現状の資本主義体制において民間企業でできる社会貢献は、「+αの価値(経済学では付加価値)」に対する利益を前提とした社会貢献。企業が競争して利益を追求することがひいては一番の社会貢献となるようなこと。

政府や公的機関ができる社会貢献は、民間企業に自由にやらせておくだけでは失敗するおそれがある領域を調整したり、人々の活動を支える土台の部分を安定させること。

研究者ができる社会貢献は、断片的に起きている事象を解釈し、頑健な論理として体系化し、有用な知識・知見を残していくこと。

 

自分が社会生活を生きる人間としてどういった貢献をしたいのか。どれが向いているのか。

世の喧騒の中で見失いがちになるかもしれませんが、「自分のやりたいこと」の根源的な問いとなるこういった芯の部分はブレずに持っておきたいものです。

あるべき姿を明確にしておくことで、自分の行動に対する自信だとか納得感だとかが支えられる側面もあるように思います。

僕はまた違う進路ですが、世の沢山の同士達がこの就活期を通して自分の理想に向けて歩みを大きく進められることを願います。

さて、僕も勉強せねば。