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社会科学徒のエディトリアル

広くは社会科学・狭くは経営学・会計学。学部4年生です。研究者目指します。

”思考の文字数” ブログから学んだ相互理解へのヒント

こんにちは。

少しずつ記事数も増えてきて、ブログの様式にも慣れてきた今日この頃ですが、書いていて面白い事実を発見したので、今回はその話をします。
 
今回のテーマはズバリ、「思考の文字数」。何のこっちゃ。

 思考の文字数

文章を書いていてわかる面白いこと。
それは、「どういった話題であっても、特に意識をしていなくても、自分が書く文章の文字数はだいたい同じくらいの値に収束する」ということです。
 
試しに最近書いた4,5記事の文字数を調べてみたのですが、全部1500~1800文字程度の範囲に収まっていました。
 
これは恐らく、ある程度長い文章を書く時の論理構成が自分の中でパターン化されているためでしょう。
どんな話題であっても話の流れが同じような構成になっているため、大抵同じくらいの文字数に収束する、という構造です。
 
例えば僕のブログであれば、たいていの記事が
テーマ→テーマを選んだ背景と問題提起→前提→論点整理→メインの主張
という流れになっているはずです。
こういう文章構造で、かつ自分なりに抜け漏れ書きすぎをある程度調整すると、自ずと文字数が1500-2000文字くらいのボリュームに収まっていきます。
きっと、各々に特有の「思考の文字数」と、それを支える思考の論理構造があるのだろうと思います。
 

字数を制限されると筆が止まる理由

同じブログというカテゴリーであっても、人によって1記事あたりの文字数が相当に異なります。
体裁だったり論理構造も千差万別です。
よくある話ですが、大学等でレポート課題が課されるとき、字数制限に悩む人は多いです。A4用紙1枚、2000字程度、4000字程度、などなど課される制限字数はまちまちです。
 
僕が感じるところ、字数制限で筆が止まる第一の理由は、自分が文章を書く上で前提にしている「思考の文字数」と、「課された文字数」が離れていること、だと思います。
どう頑張っても、自分が前提としている「思考の文字数」の中では、求められる字数から見て大きな過不足が発生してしまうわけです。
書いていてあまりに制限字数とかけ離れるときは、その課題が求めている「思考の文字数」、ひいてはその背景にある論理構成がどういったものかを整理する必要があるように感じます。
 

その場その場に、適した「文字数」を

そして今までの話はなにも、文章を書くときに限った話ではないと思っています。
僕は、口頭の会話でもあまりレスポンスの速い方ではありません。人によってはイライラさせてる可能性もあります。ごめんなさい。
 
何故かというと、自分も相手も、各々の「思考の文字数」で会話しているからです。
多少は合わせることも可能ですが、話していて「楽だな~」とか、「話が噛み合うな~」と思う相手というのは、たいてい自分と近い「思考の文字数」を持っている人、という風に感じます。
 
もともと段階を踏んで土台から考えて喋ろうとする僕のようなタイプは、文字数の少ない思考(即決型の人と言えるかな?)をベースにする相手と話すのには若干の苦手意識を持っていたりします。笑
 
ただ、これは直せるというのが僕の実感です。
何をするか?求められる文字数の中での最適な思考プロセスを学ぶことです。
 
つまり、反射的な回答を求められている状況で、普段の僕のような1500-2000文字の思考をしていてはダメな訳です。ごめんなさい。
 
そういったシチュエーションでは、「条件とその対応をフローチャート化しておく」とか、「短い時間の中で要点をつまみ出して、聞かれた事実に一対一対応で答える」とかいった行動が大事になってくる訳です。
(これが人よりできなくて、バイトで苦しんだのがかつての僕です。)
 
そうした時に、どうやってこの「思考の文字数」と付き合っていくのが良いのでしょうか。
それぞれ得意な思考パターンがあるのだから、その「思考の文字数」で勝負できる世界で戦えばいい、というのは一つの考え方でしょう。
一応、僕は形式的にはそういった進路を歩んでいるつもりです。研究者というのはどちらかといえば「思考の文字数」が多い部類の労働者だと思います。
 
ただしその一方で、異なる文字数の思考を排除する、というような考え方は一定の危険性を孕んでいるようにも感じます。
仮に500文字の思考パターンを持つAさんと、2000文字のパターンを持つBさんがいるとしましょう。
 
Aさんが「理屈っぽい」「机上論だ」等の理由でBさんの意見を聞き入れないと、Aさんの中での主義主張や考え方が凝り固まったものになってしまう危険性があります。
逆も然りで、BさんもAさんのような思考を持っていないと、「Aさんタイプには適用できない机上論」を生み出してしまう可能性がありますし、そもそも会話が噛み合わずに聞き入れてもらえないかもしれません。
 
異なる立場になった人たちというのは、それだけ思考のパターンが違うからこそそうなった、とも言えるわけです。
その条件下での相互理解というのは、なかなか骨の折れる事なのではないかと思います。
 
また、いわゆる「思考の速さ」だとか、「頭の良さ」だとか抽象的に表現される能力というのは、案外「特定のテーマに関して話をしてもらい、平均的な文字数や時間を測る」等の実験を通して可視化、定量化が可能なのではないかと思っていたりします。
ある職業とそれに最適な「思考の文字数」の対応を考える、とか。
 
深夜の物思いそのままを書いているので、ロジカルでない表現があったらご指摘ください。
多少なりとも面白いと思って頂けたら幸いです。
 
ちなみに、今回の記事は2200文字くらいでした。
1800文字くらいだったら、綺麗に締められたんですけどね。まあ良しとしましょう。