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社会科学徒のエディトリアル

広くは社会科学・狭くは経営学・会計学。学部4年生です。研究者目指します。

人工知能は、資本主義と共産主義を繋ぎ得る

若い世代の僕らでさえ、携帯電話でメールができる事に感動を覚えていた中学生くらいの頃と比べて、ここ最近のテクノロジーを巡る変化の速さには驚きを隠せません。

オートメーション、スマート◯◯、ビッグデータ人工知能

IT技術の進化は、僕らの生活のあらゆる場面を一変させる程に破壊的なものです。

 

そんな潮流の中で近年議論となっている大きなテーマとして、「機械による人間の仕事の代替」が挙げられるでしょう。

機械によって効率的にできる事柄が増えるほどに、人間の仕事が奪われていくというものです。

僕は、一部ではこの説を支持しますが、長期的に人間社会を維持するためには、近年開発が進む機械学習人工知能といったテクノロジーが欠かせない役割を担うと考えています。

 

 

機械がなければ、市場経済は今ごろ崩壊していただろう

市場経済が誕生してから、人間社会は「付加価値」をベースとした取引、つまり生産者が加工によってモノやサービスに新たな価値を付与し、消費者がその対価として貨幣を支払うという循環によって成り立ってきました。

世の中には、今ある仕事の数だけ「付加価値」が生み出されています。この世に沢山生まれる価値が、資本主義を支えているのです。

付加価値は、恒久的なものではありません。付加価値が大きいものには沢山のお金が集まるため、その超過利益をめぐって、競争が起こります。そして、超過利益が無くなる(その活動が付加価値を持たなくなる)まで、その競争が続きます。これは、経済学の基本的な論理です。

その中で、人間は次から次へと新たな価値を生み出すことで、貨幣経済を成立させてきました。

 

しかしある時人間は、自分達の住む社会が、自分達だけの力では最早付加価値を生むことのできない場所であることに気づきます。

なにせ、労働力という資源には数の限りがあります。現代においては、人間のキャパシティを超えた活動をすることでしか、価値を生むことができないのです。

これは資本主義社会で生きてきた人類にとっての物凄いピンチです。

配当可能な利益の存在を前提にする株式会社の制度は、ここで終焉を迎えることになります。出資者からすれば、儲からないなら貯金してたほうが良いですから。

 

そこで彼らは、今まで自分達の生活をより良くしてくれた資本主義社会を守るため、付加価値を生まなくなった活動から自分達を解放するために、「機械」という道具を作り出しました。

これがとても素晴らしい発明で、人間が今まで「価値を生まないが、しなければならなかったこと」を、全部やってくれるのです。

これが、人間に「付加価値」を生むたくさんの機会を与え、ひいては資本主義の存続を助けたのです。

 

長期的には理想状況に?問題は、"延命期"の雇用か

この流れの帰結は色々考えられますが、最終的には希望的な観測ができるように思います。フロンティアが無くなる頃には、「最低限」の生活水準に対し、およそ不満が発生するような状況ではなくなっていると考えられるからです。

また「理論的な活動」を忠実に行えるこうした技術は、今まで「ファーストベスト」として実現不可能とされてきた社会事象を、実現可能にするかもしれない能力を持っています。

もしかしたら、宇宙進出がフロンティアとなり、新たに莫大な価値創出の機会を提供するのかもしれません。あるいは、世の中が経済学的に理想的な状況に近づき、理論的な共産主義が実現するかもしれません。

 

ただし、その究極的な状況へのいわば「移行期間」が問題となると考えられます。

完全体の人工知能による労働力の代替が短期間に行われればまだ良いですが、現状ではジワジワと未完成な機械が人間の仕事を代替していくような形になっています。

こうなると、理想状況が整うまでの膨大な期間、かなりの数の失業者が世に溢れるという状況も想定できます。

 

機械に代替された労働力が、新たに価値創出の機会を見つけ出せばいい、というのも確かです。

ですが、「価値を作り出す」という今まで限られたホワイトカラーが行ってきた仕事を、いったいどれだけの人間が実現できるでしょうか。

まだ完全にインフラが整いきっていない現在の社会は、中間層が「まあ、これなら仕事が無くなってもいいか」と思える時代でしょうか。

 

今後50年くらいの政治経済は、それこそ人工知能に頼りたくなるほど、難しく重大な意思決定を要求するものに思えます。